山科「毘沙門堂」に椿を探す

 「毘沙門堂」は、京都市山科区にある古刹で、畿内の神社では珍しい、「日光東照宮」のようなテイストのデザインと彩色の堂門、そして「毘沙門しだれ」と呼ばれる桜と、紅葉が映えるイロハモミジが美しい名所としても知られています。

 後西天皇皇子の公弁法親王(1669~1716年)が毘沙門堂に入って以来、「門跡寺院」の一つに数えられるようになりました。

 「門跡寺院」であれば、椿にも縁が深いのではないかと思い、訪れることにしました。

1 「毘沙門堂」への石段とヤマモモの巨樹

 JR山科駅から北へおよそ1.2キロ、毘沙門道を通って住宅街を抜け、山科疎水を渡り、安祥寺山の中に入ると、「毘沙門堂」の堂宇が見えてきます。

 石段の上には、「毘沙門天」と書かれた大きな提灯がぶら下がる、朱塗りの「仁王門」が参詣者を迎えます。

 かなり急角度の石段を上っていく途中、右手に、ひときわ巨大な樹があります。

 「山科区民の誇りの木」である「ヤマモモ」で、高さ20メートル、幹周2.35メートルに及ぶ大木で、雄株ということです。雌株なら、暗紅色の甘酸っぱい苺のような実がたわわになるところでしょうね。

2 本堂、霊殿、宸殿を見る。「いけずの間」とは?

 「仁王門」をくぐると、色彩豊かな装飾が目立つ「唐門」と「本堂」が正面に見えます。

 本堂前の受付で拝観料を支払い、本堂から渡り廊下を伝って、「霊殿」「宸殿」へと進みます。

 本殿の朱色と新緑が、目にも鮮やかです。

 「霊殿」から「宸殿」を臨みます。

 これらの建物内部に描かれる天井画や襖絵は、狩野派の絵師によるものですが、見る角度によって、見え方が変わるという、「だまし絵」的な仕掛けが仕込まれているのが特徴です。

 一番面白かったのは、「宸殿」を入ったすぐにある通称「いけずの間」です。

 来客の控えの間となっているこの部屋の襖絵には、梅の木に山鳥が、竹にヒヨドリが描かれています。取り合わせとしては、梅に鶯、竹には雀なので、この襖絵は、「鳥が合わない」⇒「取り合わない」ということで、ここに通されたお客さんは、住職はお会いしませんので、どうぞお引き取りくださいとの意だそうです。

 京のお茶漬けではないですが、婉曲的なお断りの仕方が、なんか上から目線の意地悪さがあってやな感じと、誰が名付けたのか「いけずの間」とは、ジャストフィットのネーミングですね。

3 昼なおほの暗い緑の「晩翠園」

 「宸殿」の裏に回ると、江戸初期の回遊式庭園である「晩翠園」が広がります。

 池は、もとはもっと大きなものだったようですが、明治の廃仏毀釈により、埋められてしまったとのことです。

 池の対岸に、背景となる山のうっそうとした茂みに埋もれそうな「観音堂」があり、その付近の暗く深い緑は、夜目に翠を思わせる「晩翠」の名のいわれとなっており、やや妖しげな雰囲気も感じさせます。

4 銘木「毘沙門しだれ」とイロハモミジ

 「毘沙門堂」のメインツリーである「毘沙門しだれ」です。

 高さ7.8メートル、幹周2.3メートル、樹齢150年の巨木で、「宸殿」の正面に枝を大きく広げています。

 寛文5年(1655年)に寺が再興されてから、5代にわたって植え継がれてきたものだそうです。

 椿では、150年たっても幹周1メートルにいかないことも多いので、他の樹と比較すると、椿の成長の遅さを感じますね。

 門跡寺院らしく、格式高い「勅使門」です。

 勅使門に向かう参道の石段の両側にモミジの樹々が並んでいます。
 ここは、秋の散紅葉が石段に敷き積もる、絶好のフォトポイントですが、青紅葉の緑陰もまた気持ちがよかったですね。

5 境内の片隅に静かに佇む椿

 さて、肝心の椿ですが、庭園や中庭などに、目を見張るようなものはありませんでしたが、鐘楼付近にまとまってありました。

 椿らしく、境内の片隅に静かに佇んでいるという感じでしたね。

 「毘沙門堂」のホームページを見ると、藪椿だけでなく、園芸種もありそうでしたので、また、来シーズンにでも、桜を愛でつつ、訪れたいと思っています。

 この小さな神社の傍らにある椿が、最も年期が入っていそうでした。

 この時期はシーズンオフなので、参拝客もまばらで、ゆっくりとお堂を見学させていただきました。「宸殿」は、門跡の居住空間でもあり、各部屋に、障子を開け閉めして出入りしていると、どことなく「生活感」みたいなものを身近に感じましたね。立ち入り禁止のところがあまりなく、おおらかな拝観ができるせいかもしれません。

 京都のメジャーな寺とは少し離れていることから、簡単に足が向かないかもしれませんが、建物、景色、銘木が揃う、よいスポットだと思います。