岩船寺の椿と当尾の石仏群を訪ねる

www.kyogurashi-neko.com

 続編です。

 海住山寺から山を下り、加茂の街並みを抜けて、再び西南の山中へと車を走らせ、しばらくすると、山あいに集落が散在する当尾地区に入り、ほどなく岩船寺へと到着します。

 岩船寺は、胎内に天慶9年(946年)の銘を持つ阿弥陀如来坐像や、室町時代に建てられた三重塔、また鎌倉時代の石塔など、重要文化財に指定されているものも数多く、また、あじさいやモミジをはじめ、四季にわたって花樹を楽しめるところとしても有名です。

 この岩船寺と、ここから浄瑠璃寺へと石仏を巡る山歩きルートをたどって、椿を探しながら訪れてまいりました。

 

1 静かな山あいの寺・岩船寺を訪ねる

 岩船寺には駐車場がありませんので、門前の民間駐車場(300円)に停めることになります。

 まだ、紅葉シーズン前なので、観光客もまばらで、青空駐車場には私の車だけ。

 管理のおじいさんが、ひとり唐辛子をより分けておられました。

 ひなびた山里の静かな時間の流れが心地よく、観光客の土産として吊るされている小ぶりの柿が秋らしさを感じさせていました。

この柿を10日間ほど天干しして干し柿を作りました。梅干し大に縮まりましたが、くどくない甘みと適度な歯ごたえで美味しくいただきました。

 岩船寺は、伝承によれば、天平元年(729年)に、聖武天皇が、行基阿弥陀堂を開かせたのがはじまりで、最も興隆したころには、39坊を擁する大寺院であったということですが、1221年の承久の乱の兵火により、堂宇の大半が失われてしまいます。

 後鳥羽上皇に味方する京方の軍勢がこの寺に立て籠ったとのことですので、京に攻め上った幕府軍が打ち壊し、火をかけたのでしょう。

 のちに、後醍醐天皇が討幕ののろしを笠置であげたことからも、この地域は、昔から朝廷支持で、幕府からにらまれていたのかもしれませんね。

 寺勢は衰退しましたが、寛永に至ってようやく、徳川家康・秀忠により修復の手が入ったと伝えられています。

 まずは、本堂に入り、阿弥陀如来を見せていただきました。丈六の阿弥陀仏で、高さ3メートル近くの堂々とした仏さまですが、全体に丸みを帯び、大変穏やかなお姿で心が落ち着きます。

 ケヤキの一木造ということで、これだけの大きさの像を掘り出せるというのは、相当の巨木であったことでしょう。

本堂前の花手水です。この時期の花といえばコスモスになりますかね。

2 朱色が映える岩船寺の三重塔

 本堂から境内に下りると、池の向こうの小高い場所に、美しく彩色された三重塔が木立をバックに浮かび上がっています。現存の塔は、嘉吉2年(1442年)頃の再建とされ、昭和18年に大掛かりな解体修理が施され、平成15年の修理で、朱塗りの鮮やかな今の姿に模様替えとなったということです。

 この塔の特徴の一つが,三層の屋根を支える四隅のポイントとなるところに、「隅鬼」と言われる木像がはめ込まれていることです。

 けなげに塔のお守りの役目を果たしており、ブサかわ的な容貌に愛嬌がありますね。

 本堂には、解体修理時に取り替えた古い「隅鬼」が展示されています。

 10月末になると、サザンカが咲き始めます。

3 岩船寺の石塔・石仏

 当尾は、良質な花崗岩を産し、石仏、石塔の宝庫となっており、岩船寺内にも多くの石の文化財が残されています。

 中でも、重要文化財の十三重塔(鎌倉時代)は、造られた当時の姿をそのまま今に伝える貴重なものと言われています。三重塔と比べると地味ではありますが、均整のとれたいい造形です。兵火や地震からも無事に守られ、残ってくれた塔です。

 門前の石段下に無造作に置かれた、修行僧が身を清めるのに用いたとされる石の浴槽です。こんなお風呂を自宅に誂えて、石の手触りを楽しみつつ、ゆったりと浸かってみたいものです。

 昔、理科の事業で、花崗岩は、マグマがゆっくりと冷えて固まった「深成岩」で、緻密で耐久性に優れ石材として広く利用されていると習いましたが、このように、摩耗はしつつも800年を超えて残る姿を見ると、なるほどと実感します。

4 貝吹岩から眼下の光景を眺める

 三重塔を見下ろせる高台への道は、さらに尾根伝いに「貝吹岩」というところまで延びています。

 思ったよりも距離がありましたが、その甲斐はあります。頂に、ヘルメット状の岩があり、南山城を一望できる素晴らしい景色が広がりました。

 「貝吹岩」の名は、かつて39坊あった全山に、ほら貝で周知したことによるそうです。承久の乱のときにも、幕府軍来襲の危急を知らせたのかもしれません。

 私には、蛤が2枚重なっているような形にも見えて、潮吹く貝との意味を持つのかなと思いましたね。

 岩の後ろ側です。こちらから見ると、岩の巨大さがわかります。

 この巨石の真ん中を割るように伸びた椿が、岩に葉を繁らせています。

 藪椿だと思いますが、紅い花が咲くと、この岩とよくマッチして絵になるだろうなと思いました。

 この岩の上に立って、貝を吹いたのでしょうか。

 山門の西側の石段を上がっていくと、岩船寺の鎮守社の白山神社です。重要文化財の本殿はちょうど修理中でした。

 この神社の脇に、大きな藪椿を見つけました。

5 当尾の石仏群

 さて、岩船寺を出て、浄瑠璃寺まで、石仏をめぐるルートに行こうとしましたが、車を取りに戻るのはしんどいなと思案していたら、例の管理のおじいさんから、岩船寺浄瑠璃寺を結ぶコミュニティバスが一時間に一本出ているので、浄瑠璃寺からはそれに乗って戻ってくればよいよと教えてもらいました。

 それはありがたいといざ出発。山中の道に入ると、山側には巨大な岩々が顔をのぞかせています。 

 今にも道に転げ落ちてきそうな岩。奇岩といってもよいでしょうね。

 最初は、岩だらけの下り道となり、これが相当に勾配が急で、手すりをつたわないと不安になるくらいの山道となります。

 ずっとこの調子なら、同行の嫁さんには辛いかなと心配しましたが、下りきると後はほぼ平坦な野の道となります。

 最短ルートを選んだので、メジャーな石仏を見るにとどまりましたが、仏さまが道しるべになっていただくので距離感がつかみやすいのと、探検ツアーのように発見の楽しさを味わえるのも、この道ならではの、「推し」ポイントだと思います。

雨をしのぐ石の屋根のついた仏さまです。

 阿弥陀さまの横に、お茶の花が咲いていました。

 やや不気味さも漂う形の「あたご灯籠」。後ろには、見上げるような柿の木が立っています。

 この石仏が見えてくると、浄瑠璃寺まで、あとわずかです。

 浄瑠璃寺に着くと、すぐに岩船寺行きのバスがやってきました。
 浄瑠璃寺は何度か訪れたことがあり、今回は残念ながら、時間の都合でパス。
 折り返し、このバスに乗り、岩船寺に引き返しました。

 

 私が戻るまでの間、同行人が撮ってくれた浄瑠璃寺の国宝・三重塔です。

 わずかに紅葉が始まっています。

 今回は、名「塔」の旅でもありましたね。浄瑠璃寺には、またゆっくり訪れたいと思います。