鎌倉駅から北鎌倉駅へJR横須賀線が走るエリアは、扇ヶ谷と呼ばれます。
この地は、もともと亀ヶ谷という名で、頼朝の父である義朝が屋敷を構えていました。
鎌倉に入った頼朝は、ここに館を建てて本拠としようとしましたが、すでに義朝の菩提を弔うお堂が建立されていたこともあって、大蔵の地を御所とし、幕府を開いたとされています。
「寿福寺」は、この義朝邸跡に、頼朝が亡くなった翌年の1200年(正治2年)に、北条政子が栄西を招いて創建したもので、鎌倉五山で、建長寺、円覚寺に次ぐ高い序列を持ち、蘭渓道隆など名だたる僧も住持となるなど、大寺としての格を誇っていたそうです。
現在、参道と裏山にある墓所については入ることはできますが、境内は普段は公開されていません。そのせいか、訪れた時にも、何人かの人を見かけた程度で、静謐な雰囲気に包まれていました。
まっすぐな参道が、中門まで延びています。
小雨の中、敷石の上を歩いていきました。
中門から、境内を見せていただきます。
仏殿を臨み、巨大なビャクシンが目に入ります。両側にニ本ずつ、四本の大樹です。
鎌倉は、ビャクシンの大木が多いですね。近くには寄れませんでしたが、寿福寺のビャクシンも年月を経た風格に溢れています。
中門から鐘楼にかけての風情もいいですね。
綺麗に手入れされた生垣、植木と、背景の鬱蒼とした山の樹々。
岩肌が露出しているところには、やぐららしきものが見えます。
静かな大晦日の朝。お寺も、正月の準備をされているのでしょう。
さて、中門から左手から墓所のある山への道へと入ります。
かなり大きな墓所の崖沿いには、やぐらの中につくられたお墓が並んでいました。
その中の一つに高浜虚子のものもありました。
しばらく崖沿いの径を進むと、政子と実朝のものらしき洞窟が。
そう伝えられるだけのことはあり、相当に大きな横穴で、特別な区画であるような感じがありました。
あまり覗き込むのも気が引けましたので、手を合わせて、墓所を後にしました。
そうこうしているうちに、雨も小やみになったようです。
再び、濡れた石畳みの道を山門へと歩みました。
今回の鎌倉旅で見たかった椿は、「英勝寺」の英勝寺侘助と「覚園寺」の太郎庵椿でしたが、実は両寺とも年末は拝観休止とのことで、これは残念至極でございました。
もしかして、開いているかなと期待していましたが、やはり英勝寺の門は閉じられていました。
というわけで、肩を落としつつも、またの機会を楽しみに、海蔵寺へと歩いていきました。