海住山寺に五色椿と恭仁京の遠望を観る

 およそ1300年前、京都府の南、奈良県との境に位置する木津川市には、3年ほどの短い期間ですが、恭仁京と呼ばれた都がありました。

 時の聖武天皇は、740年に平城京を出て、745年にふたたび平城京に還るまで、恭仁京難波宮紫香楽宮と目まぐるしく都を遷しています。天災や、天然痘の大流行、藤原広嗣の乱など、社会不安と政治的混迷の中で、仏の力で国を守り、人心を一新しようとしたのかもしれませんが、どう考えても無理筋に国力を傾けた異例の時期だったと思いますね。

 恭仁京が営まれた加茂盆地は、木津川市の東部の木津川流域に小高く開け、北から、甕原、加茂、当尾の3つの地域からなっています。

 甕原には恭仁宮が築かれ、宮から朱雀大路が木津川を渡って真南に敷設され、加茂を左京とする都市構想であったと考えられています。

 いかんせん短命の都であり、造営が途中でストップし、その後荒廃して長い時を経過したため、恭仁京の全容は詳らかではありませんが、それゆえにミステリアスな魅力を持っています。

 また、南端の当尾は、浄瑠璃寺岩船寺をはじめとする古寺、そして山中に摩崖仏が集中するエリアとなっているなど、仏教文化が地域に広がった時代の歴史スポットとしても有名です。

 これらの史蹟を巡りつつ、椿との出会いを期待し、秋を迎えた加茂を訪れてきました。

1 時空を感じる恭仁宮跡

 恭仁宮跡へは、京奈和自動車道の木津か山田川出口から、国道24号で、木津川を泉大橋で渡り、国道163号線を木津川沿いに走っていきます。

 

 右手に、広大な河岸をゆるやかに流れる木津川の流れを見ながら進むと、左手は、次第に、狛山に臨むのんびりとした田園風景に変わっていきます。

 しばらくして、山すそに開けた甕原へと入ると、「史蹟 恭仁宮跡(山城国分寺後)」が見えてきます。

 田園の中の広々とした原っぱ。秋の青空の下、実に開放感のある空間です。その一角に、恭仁宮の跡に建造された山城国分寺の七重塔の巨大な礎石が残っています。

 花崗岩の立派な巨石が往時を偲ばせますが、時の流れと空間の広がり、まさに「時空」を感じるスポットでした。

 礎石の回りに植えられた柿が実り、地元の方々や小学生が世話をされているコスモス畑がちょうど身頃となっていました。視線を遠くに向けると、三方が山に囲まれ、規模は小さいものの、京都三山を思わせるようで、「都」に選ばれる地理的要件に叶うものだったのでしょうね。

 西に隣接して、恭仁小学校の北側は、大極殿跡の史蹟となっています。

 平城京大極殿が解体されて移築されたとされており、都が去ってからは、国分寺の金堂として二次利用されたようです。

 恭仁小学校は、昔懐かしい木造校舎で、周辺の景観とよくマッチしています。生徒は50人足らずのようで、少子化、過疎化の課題はあるようですが、歴史ある学校だけにこれからも存続していってほしいですね。

2 海住山寺五重塔

 恭仁京の東北の山中にある古刹が「海住山寺(かいじゅうせんじ)」です。

 恭仁京への遷都に当たって、都を守る役割を担って、鬼門となる東北の地に、聖武天皇の勅願によって、天平7年(735年)に、良弁が開創したと伝えられます。良弁は、東大寺を創建し、大仏を完成させたことで有名な高僧ですね。

 1137年に伽藍が焼失してしまいましたが、1208年に解脱上人貞慶によって再興されました。貞慶のおじいさんぱ、保元の乱後、権勢を誇った藤原信西ですが、平治の乱で一家は没落したために、幼い貞慶は興福寺に入って勉学に励み、南都仏教の高名な学僧として崇敬されるまでになりました。

 しかし、仏教勢力の強大化と世俗化を嫌った貞慶は、笠置山に隠れ、後に海住山寺へと移られたと伝えられています。

 海住山寺で最も有名なものは、建保2年(1214年)に建立された、鎌倉時代のものとして唯一残る五重塔で、国宝に指定されています。

 高さ17.7mで、東寺の五重塔の54.8mの約3分の1という、やや小ぶりな造りです。

 初重の下に裳階が付く珍しい形をしていますが、昭和38年の解体修理に当たって、江戸時代の補修の際に、もともとあった裳階が取り外されていたことが判明したため、再度付け直されたとのことです。

 まだ、紅葉には早かったのですが、シーズンでの紅いモミジと五重塔の取り合わせは、観光パンフレットを飾る定番のコンテンツとなっています。

 毎年10月下旬には、特別公開で塔の第一層が開扉され、美しく彩色された内壁と鎌倉時代作の四天王立像(重要文化財)を見ることができますが、今回は、一足早すぎたということで残念なことをしました。

 本堂に上がり、本尊の十一面観音菩薩立像(平安時代作、重要文化財)、解脱上人坐像などを見せていただきました。寺には、もう一つ、小さな50センチ足らずの十一面観音菩薩の優品があり、これは貞慶の念持仏と伝わるものなのですが、今、東京国立博物館で開催されている「南山城の仏像」展に出品されています。

3 海住山寺の五色椿とヤマモモ

 本堂の前には、大木ではありませんが、五色椿がありました。春には、桜とのコラボレーションが楽しめるようです。

 境内を一巡りした後、本堂横を抜けて、甕原を一望できる高台へと向かいました。

 この道筋には、府内最大とされるヤマモモがあると聞いていましたが・・・。

 よく見ると、林の奥の方に。案内表示も見づらいため、わかりにくいですが、薄暗い中に、それは太い幹のヤマモモがありましたね。幹回り6メートル近くあるそうです。魁偉な樹姿は、しめ縄が似合うような霊力を持っていそうな感じがしました。

 また、参道に面して、樹皮に特徴のある巨木が聳えていました。
 これは、カゴノキで、名のいわれのとおり、樹皮が鹿の子状の、大層立派な大木です。

 寺の掃除をされていた方にうかがうと、ヤマモモ、カゴノキとも、はっきりとはわからないが相当の樹齢のものだと言われているとのこと。

 このヤマモモは、もしかしたら、貞慶による再興時を知る樹なのかもしれませんね。

 高台に出てみると、驚くほどの見晴らしのよい景色が広がりました。

 木津川、鹿背山をこえて加茂盆地を一望し、西は生駒の山並みまで遠望できます。

 海住山寺は、南「海」にあるといわれる、観音さまが「住」むという浄土の「山」にある「寺」と名付けられたということですが、鹿背山を島に、海原が広がる様がみえるようだというのもうなづけるような遠景でした。

 恭仁京を俯瞰して観望できる絶好のビューポイントで楽しんだ後、山を下り、一路、岩船寺へと向かいました。