鎌倉の椿巡り⑥~海蔵寺

 鎌倉・扇ケ谷の奥に位置する「海蔵寺」。

 建長五年(1253年)、皇族初の鎌倉将軍となった宗尊親王が伽藍を再建したものですが、鎌倉幕府滅亡のときに兵火で焼け落ち、応永元年(1394年)に第二代鎌倉公方足利氏満の命により、扇谷・上杉家ニ代目の上杉氏定が源翁禅師(心昭空外)を招いて開山し、扇谷・上杉家の庇護を受けたとされます。

 JR横須賀線沿いの道から、北西に分岐して、お寺まで延びる専用道路のような道を進むと、過たずに門前に到着です。

 

 

 

 山門の両脇にサザンカが出迎えてくれました。

  

 山門を入ると、左手に鮮やかな朱色の椿が目に映りました。

 鎌倉の椿巡りといっても、年末のこの時期なので、椿の花をあまり見ることができず、少しフラストレーションもたまっていたので、気分も上向きとなりました。

 雨上がりの苔の上に、早咲きの白椿。

 藪椿一輪。

 庫裏の横にも、優しげな椿が咲いていました。

 住職が花木をお好きなのだろうなあと伝わってくるようなお庭でしたね。

 庭を見てまわった後、本堂にお参りしました。

   

 安永5年(1775年)に、浄智寺から移築された仏殿(薬師堂)には、本尊の薬師如来像が安置されています。

 この薬師如来には、言い伝えが残っています。

 寺の裏山の墓所から、夜な夜な赤子の泣き声が聞こえたため、源翁禅師が袈裟をかけると泣き止みましたが、あらためて、墓を掘ってみると、薬師如来のお面が出てきました。そこで、禅師は、新たに薬師如来を造って、胎内に、このお面を納めたとされています。

 胎内に納まるのなら、小さいものだと思いますよね。ところが、どうも、このお面は、入れ物である薬師如来様のお顔よりも大きいようです。ちょっとシュールな味わいもある像ですが、胎内のお面を見ることができるのは61年に一度とのこと。運が良ければ拝めるかもしれません。

 茅葺の庫裏です。

 本堂左手裏に廻ると、やぐらが現れました。

 境内側のお寺の雰囲気とは一変したような、岩山の出現に驚きました。

 自然の迫力だけでなく、やぐらの持つスピリチュアルな感じが、独特の異世界的な空気感を醸し出します。

 寺の裏手には、山の起伏を活かした庭園が造られていました。

 この岩山に沿った径の先に、「十六井戸」があります。

 岩のトンネルをくぐって進みます。

 井戸は、このやぐらの中に。

 恐る恐る覗き込むと、床面に16個の丸い穴が掘られて、透明な水をたたえています。

 闇の中で、青みがかって見える水は、幻想的で美しくもありました。

 16という数字は、十六大菩薩、十六善神十六羅漢などなど、仏教用語で頻繁に出てきますね。16は、総体や全体を意味する特別な数とされているようです。

 ちょっと怖くて、不思議な空間です。

 海蔵寺にはもう一つ「底脱ノ井」と呼ばれる井戸が、山門の右手にあります。

 安達泰盛の娘千代能が詠んだうたが伝わっています。

 千代能が水を汲みに来た時に、桶の底が抜けたことに、心の底も抜け、わだかまりも解けて、解脱の境地に至ったとの意だそうです。

 安達泰盛と一族は、「霜月騒動」で自刃して滅びましたが、千代能は出家して、無学祖元の弟子となったとされています。

 そんな悲劇を経験したからこその境地だったのでしょうか。

 「花の寺」海蔵寺。椿も愛されている感じのするいいお寺でした。