鎌倉の椿巡り⑧~建長寺と円覚寺

 臨済宗建長寺派大本山建長寺は、誰もが知る鎌倉五山筆頭の禅寺で、建長3年(1251年)、北条時頼の招きにより、蘭渓道隆が開山しました。

 北宋から元の時代の中国の建築様式を伝え、総門から法堂まで、主な伽藍が直線状に連続して並ぶ中国南宋五山と同様の配置としているのは、本家の宋禅を日本に広げようとの意気込みが現れたものといわれます。

 武家政権の強化を図る北条氏は、京都と離れた鎌倉の地において、朝廷と既存宗教の強固な文化・宗教的支配とは別に、武士による独自のイニシアティブをとろうとしました。

 そこで、武士の気風ともフィットした禅宗を擁護し、また、日本に布教のフロンティアの可能性を見た北宋の禅僧にとっても機会到来ということで、双方の思いがうまく組み合って、禅宗が興隆したということですね。

 その基点ともなる建長寺は、度重なる天災、兵火により、伽藍が失われては再建されてきました。

 創建当時の建物は現存しませんが、今も壮大な伽藍が並び、鎌倉第一の風格と歴史の重みを感じさせます。

 入口の総門は、関東大震災で倒壊したため、京都・千本今出川にあった般舟三昧院の正門を移築したものです。

 「三門」です。現存のものは、1775年の再建です。

 正面の唐破風と扁額が特徴ある、入母屋造りの20m近い巨大な門は迫力があります。

 でも、人を威圧し、隔絶する門とは全く違い、一階には扉がなく、寺があらゆる人に開放されていることを示すとされています。

 重量感あふれる上階は、地震に弱そうにも見えますが、がっしりとした木組みに支えられており、関東大震災にも見事に耐え残っています。

   

 国宝の梵鐘です。

 

 仏殿に至る参道左手に、ビャクシンの堂々とした樹姿が見えます。

 樹高13m、胸高6.5mの巨木で、蘭渓道隆南宋から携えてきた種子をまいたものと伝わっています。

 開山時から数えると約770年の樹齢ということで、寺の移り変わりとともに、幾多の名僧や名将を見てきた、生きる歴史とでもいうべき銘木ですね。

 仏殿は、関東大震災で倒壊し、「悲惨ノ状ヲ呈ス」と文部省の記録にありますが、無事再建されました。


 仏殿の後方には、大きな法堂が。

 壮麗さに思わず目を奪われる、方丈の「唐門」。

 仏殿と同じく、増上寺にあった徳川秀忠夫人の崇源院(お江の方)の霊屋を移したもの。

 震災前の仏殿も、「富麗ナル色彩及ビ金具ノ装飾ヲ施セリ」と記されており、江戸期には、仏殿と唐門により、禅寺ではありながら、きらびやかな雰囲気も加わっていたのでしょうね。

 方丈の裏に広がる庭園です。

 建長寺に来たからには、「半僧坊」の絶景を見ない手はありません。

 方丈の裏手から、山へと連なる階段道を進みました。

 たどり着いた「富士見台」。

 ぼんやりとはしていたものの、富士山を臨むことができました。

 この先、急な階段を上るにつれて、視界が広がり、素晴らしい景色を楽しむことができます。

 眼下には、樹々の合間に、建長寺の伽藍が一望でき、遠方には、鎌倉の街を越えて、はるかに相模灘の水平線が見渡せます。

 この雄大な光景をバックに、大きな藪椿がぽつりと紅い花を咲かせていました。

 やや高所恐怖症気味の私ですが、椿越しのパノラマを見ると、足がすくみながらも、上ってよかったなと感動しました。

 

 建長寺を後にして、円覚寺へ。

 弘安5年(1282年)、執権北条時宗は、国家の鎮護と蒙古襲来で命を落とした者を弔うために、無学祖元を招き、円覚寺を建立しました。

 日本人だけでなく、元人、高麗人を問わず追悼する懐の深さは、あらゆる衆生を救う仏さまに似つかわしいことだと思いますね。

 建長寺の三門ほどではありませんが、円覚寺の三門もなかなかの存在感です。

 12月30日、快晴の穏やかな日でした。

 仏殿と、その手前の無学祖元が植えたといわれるビャクシンです。

 仏殿の無学祖元坐像。

 頂相彫刻は、師の御姿を写した像として、礼拝し、尊ぶことから、リアルな風貌を伝えているとされます。

 開山堂、瑞泉寺の坐像のクオリティには及びませんが、個性的な顔立ちは共通しています。

 方丈に入る門です。

 辰年にふさわしい、扉の龍の彫り物です。

 御存じ、国宝「舎利殿」。

 お正月には、特別公開されたようです。残念。

 円覚寺では、椿を見ることはできませんでしたが、塔頭では、わずかながら椿の姿を見かけました。

 最奥にある塔頭で、夢窓疎石の塔所である「黄梅院」です。

 有楽椿が迎えてくれました。

 今頃は、梅もちらほらと咲き始めているかもしれません。

 北条時宗の廟所である「佛日庵」です。

 最後に、国宝の洪鐘を見学しました。

 関東一大きな鐘だそうです。参拝者は撞けなかったようですが、翌日の大晦日に荘厳な音を響かせていたようです。

 お正月の飾りの準備ですね。一年が経つのが早いこと。