鎌倉の椿巡り⑨~杉本寺と浄妙寺

 鶴岡八幡宮から金沢街道を東に1.5kmほどの、二階堂・浄明寺エリアも、多くの寺社、名所・旧跡に出会えます。鎌倉の椿巡りラストは、杉本寺と浄妙寺です。

 

1 古寺「杉本寺」

 「杉本寺」は、鎌倉で最も古いお寺で、創建は天平6年(734年)にまで遡ります。

 聖武天皇の后である光明皇后の御願により、右大臣藤原房前行基によって建立されたといいますから、大変に由緒のあるお寺です。

 山門(仁王門)です。

 山門から本堂へと続く鎌倉石の石段は、浄智寺の石段と同じく、鎌倉の情緒あふれるシーンとして印象に残るものです。

 幾人が通った後か、窪んだ段々は、波が打ち寄せてくるようにも見えます。

 古びた色合いは、茅葺の本堂ともよくマッチしています。

 山門も茅葺で、苔の味わいがあります。

 本堂の観音堂は、茅葺の古風な仏堂で、現在のものは、延宝6年(1678年)の建立とされています。

 密教天台宗のお寺らしく、本尊を秘仏として、格子戸で囲う内陣と、礼拝の場である外陣とに区分されています。

 行基、円仁、源信という、教科書にゴシック体で載るような名僧がそれぞれ刻んだとされる三体の十一面観音が本尊です。

 この三体の観音様は、文治5年(1189年)11月23日の夜、お堂が炎上したときに、我が身を動かして、大杉の下に避難したとの伝説があります。

 建久2年(1191年)には、源頼朝がお堂を再建し、御三体を堂内の奥に大切に安置したといいます。

 また、不信心な者がお寺の前を乗馬したまま通ると、必ず落馬したことから、別名「下馬観音」とも呼ばれていたそうです。蘭渓道隆行基作の観音様に着ていた袈裟をかけてからは、そのようなこともなくなったと伝わります。

 歴史の古いお寺だけに、ビッグネームの関わったエピソードがふんだんにありますね。

 三体の観音様は、奥に「格納」されているため、格子戸越しに雰囲気を感じることしかできませんでしたが、本尊以外の多くの仏像をごく間近に見ることができました。

 内陣が厳重に護られている一方で、外陣は一般民衆に開かれていたことが、今も、おおらかな拝観に引き継がれているのかもしれません。

 堂内に入って、仏さまと同じ空間に身を置いて、像の質感と陰影をリアルに体感できるのがうれしいですね。

 頼朝が本尊を秘仏とする代わりとして,御前立として寄進した観音様をはじめ、運慶作?とされるものもいくつかありましたが、私は、地元の仏師であろう、宅間法眼作の毘沙門天が気に入りました。

 境内で見つけた椿(サザンカ)たちです。

2 和と洋の浄妙寺

 杉本寺の東、程近くにある「浄妙寺」は、鎌倉五山の第五位に数えられる名刹です。

 文治4年(1188年)に、頼朝の側近で、足利氏二代当主の足利義兼が創建し、七代当主の貞氏(尊氏の父)が中興し、鎌倉幕府滅亡後も、鎌倉府が設置され、足利氏菩提寺の一つとして寺勢を維持したようです。

 戦国の騒乱で衰えたものの、後北条氏徳川家康のバックアップもあり、今に至っています。

 訪れたのが12月30日ということで、門は開かれていましたが、拝観休止となっていたため、境内をぐるりと回るにとどまりました。

 庭園もいい雰囲気です。

 ところどころ、椿がありましたが、まだ蕾は固いようでした。

 ほとんど人のいない境内でしたが、庭園前に置かれたベンチに、外人の女性が、一人静かに読書をされていました。

 旅先で、あくせく各所を回っていた私は、ふと我に返りましたね。

 遠国から来たにもかかわらず、「和」の世界に違和感なく溶け込み、ゆったりとした時間を過ごしている姿は、実にお洒落でした。

 お寺の北側の高台には、洋館とガーデンテラスとがあります。

 この館は、100年ほど前に、貴族院議員の方が邸宅として建てたものですが、イングリッシュガーデンと食事やお茶を楽しめるスペースとして、アレンジして改装し、2000年にオープンしています。

 和と洋、新と旧とがうまくすみ分けながら共存しているのは、刺激的で魅力あるものです。

 後から思えば、あの女性は、洋館の関係の方だったのかもしれませんね。 

 帰りは、白西王母が見送ってくれました。