「玉作湯神社」の神木椿と「日速神社」の樹齢600年の大椿

 玉造温泉は、1300年前、奈良時代に開かれたといわれる歴史の古い温泉です。

 天平5年(733年)に編纂された「出雲国風土記」には、「一たび濯(すす)げば形容端正(かたちきらきら)しく、再び沐(ゆあみ)すれば万病悉(ことごと)く除(い)ゆ」と記されており、この「形容端正」というところから、美肌の湯で売り出し、女性客にも人気の湯となっています。

 いっときは、この名湯も、社内旅行・宴会パターンの利用が減少する中で、さびれかけていたようですが、街をあげての、「宿泊客が外出して、そぞろ歩きの中で温泉街を魅力的に感じるような仕掛け作り」(中国経済産業局:地域ブランド玉造温泉」で攻める危機からの再生より)が効を奏し、地域全体としてのコンテンツの充実とブランド化がうまく進んでいるようです。

1 朝もやの「玉作湯神社」の神木椿

  玉造の鎮守ともいうべき「玉作湯神社」は、近接する「花仙山」に高品質の青瑪瑙の鉱脈があり、勾玉など玉製品の生産地であったことから、古来から、温泉と玉造りの守り神を祭る神社として敬われてきました。

玉造温泉旅館協同組合HPより転載

  暑さを避け、早朝5時半ころに「玉作湯神社」を訪れました。

 神社は、温泉街を少しはずれたところに鎮座しています。

 夜明け前のまだ薄暗さの残る石段が、少し、スピリチュアルな雰囲気を漂わせています。

 今回の旅で訪れた神社の定番の「子持ち」狛犬です。

 狛犬の左に見えるのは、多くの勾玉などを収納する保管庫です。

 こんな朝早くにお参りする人もなく、静かな境内に、明りが灯る拝殿を見ると、清浄な気持ちになりました。

 拝殿の左手に、大きな椿が見えます。

 御神木だと聞いていましたが、特段、注連縄などが巻かれている様子はありませんでした。

 幹回り1メートルはありそうな立派な椿です。

 見上げると、太い枝が幾本も分岐して、樹冠を形成しています。この部分が一般幹回りがありそうです。

 朝もやのかかる拝殿を、白熱灯のような柔らかい黄色の灯がぼんやりと照らすという、旅情をそそる雰囲気でした。旅先の朝の散歩はいいものです。

2 「日速神社」の鹿島明神椿

 今回の旅でぜひ見たいなと思っていたのが、玉作湯神社から南西に4キロほどのところにある「日速神社」の大椿です。

 この椿は、樹齢600年を超える巨樹であるとのことで、これは見逃せません。

 玉作湯神社を出て、車をとばしてきました。

 「日速神社」は、松江市玉造町大谷にあり、旧大谷小学校裏の山手にあります。

 大谷小学校は、令和3年3月末をもって閉校となったようです。

 まだ残っている学校のホームページを見ますと、閉校時の生徒数は11名、最後の卒業生は1人だったようですね。山あいの集落が続く地域で、いかにも懐かしい風景が広がっていますが、過疎化は容赦なく押し寄せているのでしょうね。

 田舎でよく見かけるような、こじんまりとしたお社です。それでも、出雲らしく、注連縄は立派ですね。

 境内に入ると、至る所に、大きな椿の木が目につきます。

 これが、武神・軍神である鹿島明神として崇敬されてきた、大椿です。

 戦国の世から生き抜いてきたこの椿は、地域の人々を見守ってきたのでしょうが、出征軍人の武運長久を祈る御神木であったと記されているのを見ると、家族の方々の切なる思いも偲ばれ、地域の方々にとってかけがえのない樹なんだろうと、あらためて粛とした気持ちになりました。

 雄渾な枝ぶりです。さすが、600年の年月が、これだけ迫力ある姿を生み出しているのですね。パワーを授けてくれそうな樹容を見ると、鹿島明神の化身とみなされたのは頷けます。

 黒紅色の花を咲かせるということです。機会があれば、また、訪れたいですね。

 末永く生きながらえてほしい椿です。そう願いつつ、神社を後にしました。

 境内にある「双葉ガシ」も一見の価値があります。